SATOMACHI/さとまち

街中の自然を味わう仕掛けで、来を創る。

北斎も描いた江戸の機知とユーモアあふれる「暦」

先日、両国(東京)にあるすみだ北斎美術館の企画展「読み解こう!北斎も描いた江戸のカレンダー」に行ってきました。SATOMACHI東京メンバーの瓜生あずさです。
浮世絵はあまり詳しくありませんが、代表の和田からの指令もあり、「江戸のカレンダーとはどんなものだろう?」とちょっと興味がわいて、事前知識もないままお出かけ。
想像を超えていました!まるでクイズのような「江戸時代の暦=カレンダー」は、一つひとつ読み解いていくのが楽しく、面白い!!江戸の「粋な生活」をちょっぴり味わえたそんな気分でした。

複雑すぎる江戸時代の暦、1年が13か月という年もあった⁈

江戸時代の暦は太陰太陽暦。つまり、月の満ち欠けによって1ヶ月の長さを決める暦法が用いられていました。月が地球を一周するのにかかる日数は平均29.5日なので、大の月は30日、小の月は29日となりました。
しかし、季節は月の運行ではなく、地球が太陽の周りをまわることで変わっていくため、季節と暦が合うようにしなければなりませんでした。するとややこしいことに…1月が大の月になったり、小の月になったりと、毎年暦を計算し大小の並び替えを行う必要がありました。そして、この調整だけではうまく回らず3年に1度程度、「閏月」を設けて季節と暦の調整を行っていたため、年によっては1年が13か月という年もあったそうです。

なんとも面倒で厄介な太陰太陽暦。とはいっても、よくわからないでは済まされない「暦」。
なぜなら、江戸時代は月末にまとめて支払う「月払い」が主流だったので、何月が大の月か小の月かを知っておくことがとても重要であり、また季節の行事が重んじられていたこの時代…暦に間違いがあったら大混乱をきたしてしまう事にもなりかねないのです。
したがって、太陰太陽暦の複雑な暦は、江戸の天文方と京都の陰陽師が何度も行き来し最終的に幕府の精査を経て交付されるもので、暦製作には厳しい統制がしかれていたとのことです。つまり、「暦」の自由な売買は禁止されていたのです。

江戸の人はクイズがお好き?月の大小しかわからないカレンダー「大小暦」

暦が必要なのに自由に作ることができないとは⁉さて、どうしたものか・・・
江戸の人々はせめて月の大小だけでもいつでもわかるようにしたい、そんな状況下で編み出されたのが「大小暦」「絵暦」と呼ばれる小さな摺物でした。
それは、絵や背景の中に数字や大小の文字を巧みに組み込むという画期的なものでした
実際に見てもらったほうが分かるので例を挙げて紹介します。
ここにどのような形で数字と大小の文字が隠されているかわかりますか?

[絵暦貼込帳](慶応3年丁卯(1867)大小暦)「うさぎの餅つき」
上の絵を読み解くと・・・

(「うさぎの餅つき」画像は 国立国会図書館のWebサイトから引用)
臼(うす)に朱印が押してあり、「大は臼、小は兎」とヒントがあります。
臼に配されているのが大の月。兎(うさぎ)に配しているのが小の月です。
この暦は「うさぎ年」のものです。
大の月:2 , 4 , 8 , 10 , 11 , 12
小の月:1 , 3 , 5 , 6 , 7 , 9
これは文字絵の大小…文字の形を利用して描いた絵のこと。月数が絵の輪郭などに隠されているパターン。

今度は、こちらの大小暦を読み解くことができますか?

 [絵暦](寛政6年甲寅(1794)大小暦)
ヒントは 月数自体を絵の中に隠すのではなく、あるモチーフを長短・高低・大小・前後などの対比をもたせ、12あるいは13個並べて書くことで、順番に大の月と小の月を示しているパターン=順番の大小

(「シャボン玉」画像は 国立国会図書館のWebサイトから引用)

(「シャボン玉」画像は 国立国会図書館のWebサイトから引用)
シャボン玉の大きさでこの年の大小の月が示されています。
上から順に、1月大、2月小、3月大、4月小、5月小、6月大、7月小、8月大、9月大、10月大、11月小、閏11月大、12月小です。
ちなみに、江戸時代には、いもがらやタバコの茎などを焼いて粉にしたものを水に溶かしてシャボン玉遊びをしました。「水圏戯(すいけんぎ)」ともいって、幕末のころには、シャボン玉を売る行商人も現れました。明治になって、石鹸が作られるようになる以前の話です。
大の月【1,3,6,8,9,10、閏11】
小の月【2,4,5,7,11,12】

おもしろいことはみんなが夢中に…、浮世絵は進化し錦絵が誕生!

江戸時代、暦の販売は禁止されていたので、「大小暦」は個人で作るものゆえ売買は禁止です。始まりは、必要に迫られ発明された「大小暦」でしたが、謎解きのようなクイズ形式の面白いこの摺物は次第に趣味趣向が強くなり、自作される大小暦は旧暦中に作り、正月の贈り物として交換したり、得意先に配られるようになったそうです。これらは、今でいう年賀状のようなものですが、謎解き年賀とは!!洒落っ気を含んだ江戸っ子の「粋」を感じます。
そしてこのブームを楽しんでいたのは、江戸庶民ばかりではなく江戸城内のお役人もみんなして交換していたそうです。皆が頭を悩まし自信作をつくろうと必死になっていたとか!
実用に始まった大小暦の交換も、趣向性が高まり「大小取替会」というコンテストが開かれるようになり、我こそは!と豪華なデザインを求めプロの浮世絵師に図柄製作を依頼する人たちも出てきたとのこと。
このころの浮世絵は2,3色刷りが一般的でしたが、浮世絵師・鈴木晴信はとっておきの「大小暦」をつくるため錦のように美しい多色刷りの絵暦を発表しました。これが日本美術「錦絵」の誕生だったのです。

あそび心も極めれば、この上なき芸術の域に

こうして江戸時代中期、鈴木晴信によって生み出された「錦絵」とともに大小暦を互いに贈りあう文化は続き、大小暦ブームの絶頂期はもはや完全に趣味、遊びの世界へと突入します。あそび心も真剣にすると傑作を生むというもの。葛飾北斎・歌川広重・歌川国芳もみな大小づくりに勤しんでおり、多くの絵暦を残しています。
今や日本の芸術といわれる錦絵は、高尚な芸術を生み出そうとして考えられたものではなく、江戸の庶民から幕府のお役人までもが、ただただ面白いと言われたいがために、真剣に遊んでいるうちに生み出されたものだったという。
たかが暦でも、ただただ贈るのではつまらない。江戸の人たちの相手を喜ばせよう・楽しませようとする『心意気=「粋」な発想』と自分の作品へのこだわり求めた先に「錦絵」が生まれた。そうした背景には、日々を楽しもう!とする江戸っ子の「粋」を感じます。

まとめ季節感を大切にし、ことばを巧みに美しく表現するあそび心いっぱいの江戸っ子の「粋な表現・生き方」

浮世絵とは程遠いところにいた私…事前知識ももたないまま、代表の和田に言われて「読み解こう!北斎も描いた江戸のカレンダー」の企画展に行きました。
展示されている「大小暦」「絵暦」の説明を読んだとき、「なになに…クイズ?小さな1枚の絵が暦ってどういうこと?どうやって読み解くの?」一瞬頭の中はパニックに (^^; 落ち着いて、1枚目の展示を読み解いたとき、これは面白い!!と、くぎ付けに。展示されている大小を一つひとつ読み解きたくなり、真剣に見入っていたらあっという間に1時間以上が過ぎていてびっくり!

すみだ北斎美術館は、そんなに大きな美術館ではないので、浮世絵初心者の方でも十分楽しめます。また、今回の企画展「読み解こう!北斎も描いた江戸のカレンダー」は、読み解きがとにかく楽しいのでお勧めです。ぜひ期間中に足を運んでみてください。
私はこの企画展を通して、江戸の人たちの相手を喜ばせよう・楽しませようとする『心意気=「粋」な発想』を感じつつ、また季節感を大切にし、ことばを巧みに美しく表現するあそび心いっぱいの江戸っ子の「粋な表現・生き方」を学んだ気がします。
浮世絵・錦絵のことについてももっと知りたくなりました!

期間限定で「こどもと二十四節気かるた」扱っていただいています!

そうそう、忘れがちな和田からのミッション。それはこのすみだ北斎美術館さんで特別に企画展「読み解こう!北斎も描いた江戸のカレンダー」の会期中に「こどもと二十四節気かるた」を扱ってもらうのでみてきて、でした。
ですので、、みなさん3階4階の展示物を見終えた後は、ショップへ立ち寄ってください。

日本には豊かな季節の移ろいがあります。江戸時代の太陰太陽暦は、月の運行に基づいた「大小」と太陽の運行に基づいた二十四節気をもとに計算されていました。1年を二十四の季節に分けたのが二十四節気。それをこどもも楽しめるよう、かるたに仕立てています。かるたあそびも良し、季節に合わせて飾っても良し、お手にとってみてください。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。(文 あずさ)

出典:国立国会図書館「日本の暦」 (https://www.ndl.go.jp/koyomi/)

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