SATOMACHI/さとまち

街中の自然を味わう仕掛けで、未来を創る。

すぐに語りたくなる~あえるSATOMACHIvol.2レポ②~

東京は何度か夏日が訪れ、今年はじめての蚊に刺されただんちょ~です。

本日お届けするのは美味しいお酒をいただきながら上杉孝久さんのお話とグループワークショップで盛り上がった“あえるSATOMACHI”のイベントレポートその②です。前回は郷酒についての誕生の背景からそこに込められた意味、そしてこのイベントのために用意した郷酒について詳しく紹介していただきました。今回は日本酒を造る上で一番大切なお米。このお米と日本の文化とのつながりについてお話してくださいましたのでその模様をお伝えしたいと思います。

イベント概要
タイトル:あえるSATOMACHI vol.2 〜郷酒・地域と酒を考える〜
日時:2018年4月5日(木)  会場:E-BASE
※前回の記事 ~あえるSATOMACHIvol.2レポ①~

■花見は宴会じゃなかった?!

春の季節日本人にとって切っても切り離せない存在がありますよね?

そうです、“桜”です。

その桜がとってもお米と深い関係があるとのことで、語源についてお話されました。※諸説あります。

どうやら『さ』というのは田の神様を意味し、『くら』を神様が降りる場所を指して昔の人は呼んでいました。そしてその当時田んぼの水取り口のそばには桜を植えていたのだそうです。当時は山桜しか無いので群生しているといったことはありません、そのため一本の桜に対して神様がその桜の木に降りやすくするために宴を開くというのが、花見のルーツになりました。

花見は宴会などではなく豊作を祈願する重要な行事だったのですね。

花見だけではありません。

現代に伝わる中でカタチが変わり、一般的には馴染みがなくなってしまったお米にまつわる重要な行事はいくつかあるようです。

■戦前は最大の国家行事

秋になると、良い作物をつくってくれた田に感謝する国見のまつりというのがあるそうです。これは良い作物をつくってくれる田に昔は貴重だった日本酒をまき、その田んぼの土に心持ち良くなってもらいまた来年も良い作物を授かるように祈願するための祭事です。上杉さんはお米とお祭りは切っても切れない関係であると仰っております。

そもそも野生のイネというのはなかなかお米が穫れなかった。そのイネを天の神によって民が飢えないように、一粒のお米からで万のお米が穫れるよう大きなエネルギーをもつ稲として地に住む民に与えてくれたというのがお米の由来となっているそうです。そして、その由来となったエピソードは現在も縁起の良い日とされている「一粒万倍日」という言葉として残っております。

わたしたちもお米一粒を大切にし、一粒から万倍に増えるパワーにあやかろう!!

そのような信仰をずっと守り抜いた人たちがいます。

それは天皇家であります。今でも続くお祭りとして普段あまり馴染みは無いですが“新嘗祭(にいなめさい)”というお祭りがあります。これは 戦前は国家行事として最大級のお祭りだったそうです。しかし、戦後は皇室の私的行事に格下げされてしまったことで国民からは少し縁遠いお祭りになってしましました。それでも皇室の中では非常に大切に行事として今も大切に行われているようです。

新嘗祭(にいなめさい) 「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味します。 毎年十一月二十三日に全国の神社で行われ、新穀を得たことを神さまに感謝する新嘗祭は、五穀の豊穣を祈願した二月十七日の祈年祭と相対する関係にあるお祭りで、この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉ると上もに、御自らも召し上がります。 新嘗祭の起源は古く、『古事記』にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。 現在では「動労感謝の日」として、国民の祝日となっていますが、一説によるとその祝目名は、命の糧を神さまからいただくための勤労を尊び、感謝をしあうことに由来しているといわれています。(引用元:“神社と神道”ホームページ

■日本酒とこめかみ

その昔日本酒というのは神様と会話するためのツールとして造られていたんだそうです。なぜそう扱われていたかと言えば、酔っ払った姿は神様が乗り移ったものだと思われていたからなんだとか。ですから神様に仕える巫女さんや宮司さんというような一部の人しか飲めなかったわけです。

では日本ではじめて日本酒が文献に登場するのはいつでしょうか?

それは卑弥呼が生きた時代に書かれた魏志倭人伝の中で、倭国は冠婚葬祭の時に米でできた酒を飲むという記述があり、これが日本ではじめての文献に登場した日本酒だそうです。ですが、そこには詳しい製法までは記載されていません。続けて上杉さんはその時の飲まれた酒は口噛み酒ではないかとの見立てをされました。

※口噛み酒…炊くか蒸したお米を人の口の中で30分程度噛んでつぶし、デンプンを糖化させたものを吐き出し溜めておき、大気中に存在する天然の酵母菌が付着すると発酵が始まるので、そこからアルコール生成されたものが口噛み酒である。

その口噛み酒をつくる過程の中で噛み続けると疲れてくる箇所が出てきます。そこはどこでしょうか?

それこそがみなさんご存知の“こめかみ”です。米をずっと噛んでいるとつかれる所という語源だったのですね。

これを聞かされた会場は『おぉ-』と盛大な感嘆の声が上がりました(笑)

■恵方巻きの由来はここではちょっと言えないかも?!

祭事での重要なアイテムとして上杉さんはもう一つ“お餅”を挙げました。たしかにお祭りの時にはお餅にまつわるものは全国的に食べられているとは思いましたが、それと神事的なつながりがいまいち私には浮かびません。

上杉さんは言いました。そもそもお餅は一粒万倍、エネルギーの塊であるお米を凝縮してつくるもの。そのお餅をお正月には鏡餅と呼び、重ねているのですからこれはとてもパワフルです。さらに続けて、丸い鏡型にするのは、皇室の三種の神器である“八咫鏡(やたのかがみ)”を模してつくるという意味があり鏡型することでさらにエネルギーが高まると仰いました、これによりとても強固な結界が完成すると言うのです。ただ正月はそれだけでなく神饌(しんせん=神様に献上するお食事の事)としてつくるおせち料理もあります。これら全はお米とお餅から始まり年神様を迎えるための行事だったのです。その時に年神様は恵方からやってくる。そのため今でも京都の旧家へ行くと祭壇がまわるようにできているそうです。そうすることでその年の恵方に祭壇を向ける事ができます。

 

上杉さんは恵方の話をしたついでに『恵方巻き』についてもお話になりました。

「今、恵方巻というものがあるがあれはなんの意味もない」

衝撃的な言葉から始まりました。

どうやらもともと花柳界より下衆な花街での遊びにルーツがあるそうで、

“太くて黒い太巻きを女性の口の中に入れるという遊び”

これ以上は私からは何も言いません。読者のみなさんは大人だと思いますのでお察し下さい(笑)

これを見た海苔の協同組合の方々が海苔を使った太巻きを売るのにちょうど良いという事で昭和40年頃から関西で普及し始めたものが、全国に知られていったそうです。恵方を向いて食べたら縁起が良いなどという話も商売のため後から付けたものであり、昔からある風習でもなんでもないんですね!

ここまで郷酒をつくる原料のお米の話から始まり、お米にまつわる神事・祭事の話とお話は続きましたが時間の関係でこの辺で終わりにしなくてはいけないのが非常に残念です。まだまだ話は尽きそうもありませんが、続きはこの先に取っておきましょう。季節が移ろいゆく中でまた上杉さんにそのときどきの日本酒やお米にまつわるお話伺えたら嬉しいですね。

 

このあとは郷酒を自分たちで考えてみるワークショップに入ります。

次回のレポートではこちらのワークショップについてお伝えします!

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